柑子(こうじ)と徒然草と御伽草子

■さらに、時間を追って来歴を見ていきましょう。
 

 
西暦900年から1000年の間に前回のよもやま話7でお話した本草和名(ほんぞうわみょう)で柑子(こうじ)が記載されています。
 
◆この柑子は、外国から日本にもたらされたものではありません。
興味深いのは、日本で初めて発生した自然交雑種であることです。
柑子は、日本の固有種であるタチバナと中国の原生種であるミカン類との自然交雑種です。
タチバナの実は全く酸っぱくて食用にはなりませんが、この柑子は食用になったと見えて、その後、様々な文献に登場してまいります。
 
▼徒然草に「柑子」の言葉が出て来ます。
あまりに有名で、皆様も古文で勉強されており、覚えておられると思いますので、原文のままで
【徒然草】 吉田兼好 1329年〜1331年
☆十一段 神無月の頃
神無月の頃、粟栖野といふ所を過ぎて、ある山里に尋ね入る事侍りしに、遥かなる苔の細道踏み分けて、心細く住みなしたる庵あり。

(中略)
かくても在られけるよと、あはれに見る程に、かなたの庭に大きなる柑子の、枝もたわわになりたるが、まわりを厳しく囲ひたりしこそ、少し興覚めて、この木なからましかばと覚えしか。
とあります。
 
柑子泥棒よけにバリケードを作っているところを見ますと、柑子は十分に美味しかったようです。
 
▼御伽草子「和泉式部」に柑子売りの話が出てまいります。
【御伽草子】室町時代に書かれた説話集
「舌きりすずめ」、「一寸ぼうし」、「鉢かつぎ」、「ものくさ太郎」などが良く知られています。
 
☆このお話は和泉式部と比叡山の高僧道明阿闍梨(どうみょうあじゃり)のお話です。
比叡山の高僧道明は和泉式部が若い頃、里子に出した子でした。
道明が十八歳になったある日、内裏(宮中)で法華経を講説することになりました。
折しも、風のいたずらで局の御簾が吹き上げられ、一瞬、美しい女房の姿を垣間見てしまいました。
その美しい女房こそ、誰あろう自分を捨てた母、和泉式部だったのです。
道明はそのことを知る由もなく、和泉式部も自分が見られたことを知りませんでした。
道明は、比叡山に帰ってからも、何とかこの女房を一目見たいと思うあまり
柑子売りになって宮中に入りこみました。
道明が柑子を売りながら、かの女房の局あたりにやってまいりますと局の中から一人の女官が出てまいりました。
女官は銭二十で柑子を求め道明はその銭を数えたのですが、自分の思いをこめた恋歌二十首で数えたのです。

御簾の内の和泉式部はその歌に感じ入りやがて宮中を出て道明の宿に訪れ一夜の契りを結ぶのでした。
そうこうするうちに、道明の持つ守り刀に見入ってしまいました。
それは、若い頃、自分が里子にもたした刀だったのです………

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