九年母(くねんぼ)と下駄隠し

mikan-photo04■さらに、時間を追って来歴を見ていきましょう。

●この1400年から1500年の間、室町時代の前半にインドシナからクネンボ、中国より大紅みかん、小紅みかん、花柚(ハナユ)が導入されたとみられます。

クネンボ(九年母):ミカン区 原産はマレー半島からインドシナで中国から沖縄を経て日本に伝わりました。温州みかんが主流となるまで、国内でも栽培されていました。現在でも沖縄で僅かですが生産されています。
大紅ミカン:ミカン区 今は経済生産されていないようです。中国の漢方薬の陳皮の原料として使われています。
小紅ミカン:ミカン区 中国から日本に伝わりました。現在でも愛媛、香川、高知 などで紅みかんとして生産されています。

花柚(ハナユ):ユズ区 中国から日本に伝わりました。現在でも園芸店などで苗木が販売されておりご存知の方も多いと思います。

▼この時代はミカン区の品種が導入され
その後の経済的生産が行われるみかんの揺籃期と言えるのではないかと思われます。

◆ところで、みなさんは【下駄隠し】の遊びをされたことがありませんか?
私は大阪府の南部で生まれ育ちましたが小さい時に【げーたかくし ちゅうれんぼう】という遊びをしたのを何となく覚えています。

▼ご存じでない方のために
鬼を1人決めます。
残りの人は自分の靴、下駄(げた)、草履の片方を隠します。
それを鬼になった人が探します。
全員の靴、下駄等を探したらまた鬼を決めて遊びます。
鬼を決める時、歌を歌いながら決めるのですが、この時【げーたかくし ちゅうれんぼう】とはやします。

▼なぜ、突然、こんなお話をしたかと言いますと【ちゅうれんぼう】と言う言葉は【くねんぼ(九年母)】がなまったと見られているからです。
大阪でも地域差がありまして【げーたかくし きゅうれんぼう】とか【げーたかくし くーねんぼう】と言う人もいます。
はっきり覚えてないので、調べて見ました。
【参考文献】
大阪のわらべ歌 日本わらべ歌全集16 右田伊佐雄著 柳原書店

【げーたかくし ちゅうれんぼう 橋の下の ねずみ ぞーり(草履)をくわえて ちゅっちゅくちゅー ちゅっちゅくまんじゅ(饅頭)は だれが食(く)た だーれ(誰)も食わない わしが食た 表の看板 三味線屋 裏からまわって 三軒め】のようです。

▼さらに遡って調べて見ますと
江戸末期に上方で活躍した戯作者 宮沢一凰の随筆集「皇都午睡(こうと ごすい)」に鎌倉時代に歌われたとする【木杭(きぐい)隠し九年母(くねんぼ)】が記されています。
【橋の下の菖蒲(しょうぶ) 刈れども刈れぬ たい殿の鯛の虫は 軽業味噌ちっくり 酒ちっくり 呑んでもお腹は たちゃぬなや】と云ひしが、何の事を云ひしにやと思へば鎌倉時代の童謡の遺りしなり
※植物学上は室町時代ではないかと推定されています。

【皇都午睡(こうとごすい)】
江戸時代の戯作者 宮沢一凰(1802年出生1852年没)の随筆集
▼この時代(室町時代)には、クネンボは人々の間で食べられており、童歌(わらべうた)の歌詞にも歌われていたようです。
それから、クネンボに替わって紀州みかんが食べられ、その後、温州みかんが食べられるようになっていますが、私たちの時代までかろうじて歌い継がれてきたのでしょうか……….

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