文旦のお話

mikan-photo05■さらに、時間を追って来歴を見ていきましょう。

ブンタンってご存じですよね!
文旦ともザボンとも言われます。
今なら、土佐の水晶ブンタンなんかでご存じの方が多いと思います。
タチバナを除いて日本のかんきつの全ては外国からもたらされたものですが、このブンタンにもエピソードがあります。

中国と長崎出島との交易を行なっていた中国の交易船が嵐に会いました。
流れついたのが 薩摩の国 阿久根(現鹿児島県阿久根市)
この時、唐の通訳であった、原田喜右衛門の大変、親切な取扱に感激した、交易船の船長『謝 文旦』が 原田喜右衛門にカンキツの果実をプレゼントしたのです。
このカンキツの種を蒔いて発芽した柑橘の枝変わりが現在の本田ブンタン(阿久根文旦)とされています。
そのカンキツは船長『謝 文旦』の名前から文旦と呼ばれるようになったようです。
私の両親は、鹿児島出身で小さな頃 鹿児島まで両親に連れられて汽車で帰省していました。
当時、まだ蒸気機関車が全盛で大阪 鹿児島間 が急行でも23時間もかかっていました!

特に夏のお盆の帰省が大変で冷房もなく汗まみれになり 蒸気機関車のススで真っ黒になっておばあちゃんの家に行っていました。
おばあちゃんの家には大きな阿久根文旦の樹が植わっており自分の頭と同じような大きな文旦が鈴なりになっていました。
おばあちゃんに取ってもらった文旦は夏なので、まだ酸っぱいのですが、暑くて酸っぱくて良い香り今から50年以上も前の夏の思いでです……

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