みかん(カンキツ)の日本への来歴

mikan-img-02それでは、日本のみかん(カンキツ)の来歴はどうでしょうか?

古来、我が国で自生していたカンキツはタチバナ(橘)だけです。
3月3日のお雛祭りの雛壇で飾られる「右近の橘」です。
現在、日本にある品種は、外国から導入された品種かあるいはこれらの品種の自然交雑によって発生したものです。

外国から導入されたもので、記録上、最も古いものは古事記と日本書記に記されています。
それは、垂仁天皇の命により 田道間守(たじまもり)が中国より持ち帰ったとされる、非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)と言うものです。

日本書紀(西暦720年編纂)によりますと11代垂仁天皇の御代(西暦61年頃)に、新羅から帰化した子孫である但馬の国 出石の住人 田道間守(たじまもり)に、病気療養中の 垂仁帝より常世(とこよ)の国に出向き、延命長寿の効果があるとされる非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)を探すよう勅命が発せられたのでした。
田道間守は、苦節10年、とうとう 常世の国(中国大陸南岸地方?)で非時香菓を探しあて、命がけで荒海を渡り日本に持ち帰ったのです。
急いで、垂仁帝のもとに馳せ参じますと、時すでに垂仁帝は崩御されてなく、田道間守は垂仁帝存命中に使命が果たせなかったことを残念に思い垂仁帝の御陵に出向き、非時香菓の入手の報告を行いました。
田道間守は、報告の後、常世の国に気候風土が似ている土地を探し求め、現和歌山県下津町橘本に非時香菓を植えたそうです。
田道間守は死後、ここに祀られて「橘本神社」となり現在にいたっています。

この非時香菓について古事記や日本書紀では「橘」(タチバナ)と記していますが
タチバナは我が国の原産であり、「ダイダイ」若しくは「小みかん」ではないかと言われています。
ともあれ、この現存する和歌山県下津町の橘本神社に植えられた非時香菓が、紀州蜜柑の始まりとされ田道間守は、”蜜柑の始祖”として崇められています。
と申しますと兵庫県の方から異論があるかもしれません。
田道間守の故郷である但馬の国(現兵庫県豊岡市)に田道間守を祀った中嶋神社があり、「お菓子の神様」として崇められているからです。

いずれにせよ、非時香菓は当時の日本にあってお菓子のように美味しくて滋養に富んだ食品だったのでしょうね…..

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