みかん(カンキツ)の日本への導入年表

温州みかんが終わりますと晩柑類が出回ってまいりますが、それらの来歴を これから、品種と品種の原生地からの伝播、日本への導入年代の要素に従って順に探って行くことにします。
 
◆おさらい1
【よもやま話3】では日本古来の固有種はタチバナだけでその他の全ては、外国から導入されたものとお話をしました。
田道間守(たじまもり)が常世の国(中国大陸南岸地方)で非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)を持ち帰ったくだりです。
この非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)はダイダイ又は小みかんではないかとされています。
 
◆おさらい2
【よもやま話2】ではカンキツの原生地のお話をしましたが、
(1)インド東部のヒマラヤ山麓からアッサムにかけての地域
(2)中国の四川省以東の揚子江流域以南と浙江省から広東省に至る沿岸地域
の2つの地域が原生地でしたが
 
(1)インド東部を中心とする地域で確認される原生種はライム、ブンタン、大紅ミカン、レモン、スイートレモン、スイートオレンジ、ポンカン、シトロン、ラフレモン、ダイダイ、インド野生ミカンがあります。
あまり馴染みのないカンキツにつきまして紹介いたしますと
 
◇大紅ミカン:ミカン区 中国の漢方薬の陳皮の原料として使われています。

スイートレモン:シトロン区 果実は酸味が弱いので食用には適しません。果皮から良質の香油が採取できます。
スイートオレンジ:ダイダイ区 果皮からオレンジオイルを圧搾しています。香料の原料になっています。
ラフレモン:シトロン区  果皮がでこぼこしているのでRough(ラフ)Lemonと言われます。
インド東部を中心とする地域の原生種はその後のオレンジ類の起源のようなイメージですね。
 
(2)中国を中心とする地域で確認される原生種はユズ、ミカン、カラタチ、キンカンです。中国を中心とする地域の原生種はその後のみかん類の起源のイメージですね。
☆日本にも原生種がありましてタチバナだけでした。
以上をまとめますと

大柑子について
聖武天皇神亀2年(西暦725年)に播磨兄弟が唐から持ち帰った記録が残されています。
カラタチについては「万葉集」(おおよそ600年〜759年)の中でうたわれており、ユズは「続日本書記」(797年)に記述がありますので西暦700年から800年の間に、大柑子、カラタチ、ユズが中国からもたらされたと推定されています。
 
●この大柑子にはおもしろい逸話があります。安倍晴明、ご存知ですよね。
陰陽道の大家ですが、陰陽師として映画、テレビでブレイクしました。
月刈藻集に大柑子と安倍晴明の逸話が記されています。
 
【月刈藻集より】
安倍晴明は幼少の頃から、その優れた才能を発揮しておりました。
清明が6歳の頃、播磨の国から陰陽師の蘆屋道満(あしやどうまん)が晴明と術競べのために上洛してまいりました。
優れた清明は、すでに早、蘆屋道満の上洛を占いで予知していました。
都では、晴明と道満の術競べの話で持ちきりとなり、とうとう、宮中で術競べとあいなりました。
所は宮中内裏の庭 居並ぶ帝(天皇)、公家公達などの殿上人を前にして術競べが開始されました。
先ず、道満が庭先にある四個の石を取り上げ呪文を唱えますと
石は、あろうか燕に転じ道満の手の平から飛び立ち、内裏の庭を飛び回ったのです。
居並ぶ一同、驚嘆の声をあげましたが
晴明が、平然と指を二度打ち鳴らしますと空を舞っていた燕は、元の石に戻って庭先に落下したのでございます。

今度は、晴明が手に竹を携え、竹で庭に小さな窪みを穿ち、水を満たして呪文を唱えますと窪みから水がどんどん湧きだしました。またたく間に、庭は水浸しとなりさらに水かさが増してまいります。
一同、驚き狼狽しておりますと事もなげなく、道満が柏手を一つ打ち鳴らすと瞬時に水が跡形もなく消え去ったのです。
晴明と道満の術競べの優劣が決しないまま、とうとう勝負は陰陽師の本業である占いによって決せられることとなりました。
大格子が15個入れられた長持が両名が居並ぶ内裏の白州に運ばれてまいりました。
役人が「この長持の中のものを判じてみせよ」と命じました。
すると、道満が「この術競べで勝したものが、陰陽の道で取り立てられることを願う」と発し、これが約諾されました。
先ず、道満が「中に大柑子が15個」と発しました。
これに対して、晴明は「中に鼠が15匹」と発したのです。
居並ぶ殿上人、晴明破れたりとして固唾を飲んで、長持の蓋が開かれるのを待ちました。役人がおそるおそる蓋を開けて見ると中から鼠が15匹飛び出し、四方に消え去ってしまいました。
中には大柑子はおろか何もなかったとのことでございます……..

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